無双直伝英信流について
私たち桐生居合道同好会でお稽古をしている流派は「無双直伝英信流」です。

当流派について居合道の歴史とともに説明したいと思います。

諸説入り混じる場合がありますが、ご容赦下さい。

        

 居合いの起源は、古くは奈良朝あるいは平安時代初期に芽生えたといわれますが、一般的には居合の始祖は「林崎甚助重信」としています。

 

 その林崎甚助重信ですが1542年、出羽国楯山林崎(現・山形県村山市)で生まれました。父は浅野数馬、幼名民治丸。1547年、父が坂一雲斎に恨まれ、夜更けに碁打ちの帰宅中を闇討ちされてしまいました。仇討ちのため楯岡城の武芸師範東根刑部太夫について武術に精進し、1556年、林崎明神(熊野明神)に参籠し祈念した所、神より居合の極意を伝授されたと伝わっております。

 その後1561年、齢19にして仇討ちを果たしました(本懐を遂げたのは1560年とも言われる。これは古来、年齢は数え年で数えられていたため)。その後、諸国を武者修行し、傍ら幾多の弟子を育てていて、その途中で加藤清正に招かれ加藤家の家臣を指南したとも伝えられております。

 林崎甚助は塚原卜伝より鹿島新当流も学んだと伝えており、伝書にも卜伝流剣術の目録が存在しているそうです。また、鞍馬流剣術の伝書においても林崎甚助が第2代として系譜されています。他にも多くの流儀を学んだとされております。

元和3年(1617年)、70代にして諸国へ再度武者修行に出て、その後の行方は知れないといわれます。

 

 そこから7代目にあたる長谷川英信が江戸時代に、当時の時代に合わせ刃を上向きに帯刀した姿勢から抜刀するよう改めた流派として無双直伝英信流を編み出しました。

 

 さて無双直伝英信流(むそうじきでんえいしんりゅう)ですが、土佐および信州で継承され長谷川英信流ともいわれます。まだ当時は「土佐長谷川流」「長谷川英信流」「無双直伝流」「無雙神傳流」等さまざまな流派名が名乗られていたようです。

 しかし近年、信州で見つかった英信の弟子であった荒井清哲が1668年に発行した伝書に無双直伝英信流の名が見られることから、すでに古くからこの流名であったようです。幾つもの分派があったと思われますが、明治以降残った多くの技を大江正路が整理し現在の体系になりました。

 

当同好会では以上のように古来より続く「居合道」の業を稽古しております。

(メインページに戻る)